2014年04月13日

村上海賊の娘、これはアカンやろ〜

本屋大賞 とかを、受賞したというので読んでみました。
村上海賊の娘  和田竜 著

51pqEfev-wL._SL500_AA300_[1].jpg51bf8miYZEL._SL500_AA300_[1].jpg


三島大社の 鶴姫の事かと考えていたのですが、史実に基づかない 架空の 「景 という醜女」 を 主人公とした 歴史ものを装った筆者の創作物語です。

一読して、吐き気を催しました。

村上海賊 といい、真鍋海賊 といい、海賊といえば、どんな残虐なことをしたかを書いてもいいのか。 何千、何万の人々が無造作に殺されていく。そして、リアルに、映画を見ているように、具体的に人間がなぶり者にさらされ、首をはねられていく。
こういう物語が、面白いなどと、日本人は、そんなに残虐な種族なのか、と戦慄しました。

石山本願寺 を奪おうとする織田、泉州、真鍋連合軍に対する 毛利、村上連合軍。
史実に題材をとった海戦ですが、 真実を書いているのかどうかも分からない古文書を、都合よく並べ立てた筋書。

海賊といっても、日本の海賊は水軍で、西洋人の云う いわゆる海賊とは無縁の存在です。西洋の海賊は、髑髏旗をたてますが、日本の水軍は、家紋をはためかせます。
村上海賊 などとは、呼称せず、村上水軍 というのですが。 
石山本願寺 の門徒に対する表現に、浄土真宗に対する 風評に基づく偏見 があちこちに表現されています。教主に対しても、戦闘に参加する農民の門徒に対しても、現代人の持っている合理的な常識からする、宗教的偏見を煽っています。
この小説では、門徒 や 海賊 に対するいわれなき中傷を述べ立てて、面白がっているようで、不愉快です。

著者には、人の命に対する慈しみも、宗教的素養も感じられません。
とても、見識ある人が、書いた小説とは思えません。
どうして、本屋大賞を授与したのか、その見識すら疑います。

そこまで言って、よくも、読了したものと・・・・・
実は、先祖が村上水軍に 関わっていたので、ちぃらっと、名前も出てきましたし。
親鸞の 教行信証 が愛読書で、今度の 旅行にも携帯します。
ので、死して極楽に往生などと、戯言をいわれるのも、ちょっと。 


posted by syouryu at 16:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 晴耕雨読

2013年09月22日

絵本「くろねこかあさん」

絵本「くろねこかあさん」
41l1TuxudBL._SL500_AA300_[1].jpg

受付に置いてある何十冊の絵本の中で、この本が、一番人気。

自分で買っておいて、どこがいいのか疑問でした。

何度か読んでいると、子供たちが気に入るのも分かる気がしてきます。

951357.JPG

絵が単調で、白黒のみ、しかも、切り絵です。
白猫 3匹、黒猫 3匹 のお母さんなのです。

文章も、見開き 3行のみ。

優しいお母さん と 
健やかに育つ6匹の子猫たち
の ごくごく日常の物語 です。
posted by syouryu at 16:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 晴耕雨読

2013年05月08日

「医者に殺されない47の心得」

この池は、一周するだけで、気持ちがなごみます
DSC08218.JPG

近藤 誠 氏 の
「医者に殺されない47の心得」
オモシロイというので、読んでみました。

47のうちの、半分ぐらいは、そうそう、という感じですが、ちょっとねえ。

DSC08240.JPG

近藤氏 は、乳房温存術を 日本でひろめられた功労者です。
家内が乳癌になった頃は、近藤氏が温存術を提唱されていました。
それで、近藤氏の温存術に関する 英文和文の全てを読んだと思います。

どうしても、治療が楽な方に、楽な方にと なびきます。

家内も、温存術を受けました。
しかし、局所再発を繰り返し、胸壁への浸潤が命取りとなりました。

温存術ではなく、乳房摘出をしていれば、転移は避けられたろうと、僕も、主治医も考えました。
近藤氏の 著書をみて、ふと感傷に浸りました。

この本は、週刊誌 を読むつもりで、時間つぶしには、医者へのうっぷんも晴れてよいのではないでしょうか。

DSC08322.JPG

DSC08346.JPG

近藤氏の、リビングウイル を読んで、一つ、得たものがあります。
リビングウイル は、医療行為 のことと考えていましたが、介護 についても意思表示する必要があるという点です。

現代医学で治癒不可能な 身体状況になった時には、苦痛を除く医療行為、や介護行為 例えば、鎮痛、排尿、排便 、清拭 は希望しますが、経口摂取を自力で行えなくなったときは、医療的処置に限らず、無理やりの経口摂取による介護は、希望しません。

と、介護方針まで含めた、リビングウイル が必要かなと考えました。

42367.jpg
posted by syouryu at 15:29| Comment(7) | TrackBack(0) | 晴耕雨読

2012年02月28日

「遺体」

この「遺体」は、震災翌日から約10日間のあいだ、遺体仮安置所となった、廃校を舞台としたドキュメントです。

418QT8tlSzL._AA300_[1].jpg

3.11で起こったことは何なのか。地震と津波の跡は、どういう事態なのか。
それに実際に直面しないとわからないことがあります。
マスメデア は、いつも、最も肝心な事を報道しません。

誰もがどうしていいかわからない状況で、遺体仮安置所の管理を引き受ける民生委員。
行政でも、警察でも、自衛隊でもない、一介のボランテアが、もちろん、地域では指導者でしょうが、自らすすんで、この重大な、そして、何をしても周囲から批判の矢面に立つ役目を引き受ける・・・人間には素晴らしい人がいるものだと実感します。

この遺体安置所で、遺体でもなく、遺体の家族でもなく、それぞれの役割を尽くした人々のドキュメントを記述しています。
医師、歯科医、市職員、消防団員、自衛隊員、消防署員、葬儀社員、僧侶
逃げようと思えば、逃げれるのにもかかわらず、その場に踏みとどまり、職責を果たす英雄たち。

災害の後では、遺体の処理が、何事にも優先する緊急の仕事になることが分かりました。

しかし、誰も今まで、そのような訓練は受けていません。初めて引き受けることとなった職責を、報酬の有無にかかわらず、ひたすらこなしていく人々。また、引き受けられない人たちもいます。
体育館では、間に合わなくなる遺体の多さ。幼子や妊婦の遺体。日にちが経つごとに、搬送される遺体の状態が変わってきます。火葬ができずに土葬される遺体。家族の慟哭。
筆舌に尽くしがたい状況が、淡々と、記述されています。

これは、後世に残る名著となるでしょう。

著者である 石井光太氏は、これまでアジアやイスラムの悲惨を描写してきている。
今回の3.11は、著者の目には、アジアの貧困と同様に映ったのだろうか。そのことが悲しい。
これまでは、著者は、悲惨な現場を映像として表現されていたような。今回の 「遺体」の現場も映像として記録されていただろうと思われます。
ぜひ、その映像を出版されることを希望します。


3.11から一年が経とうとしている今、梅の花が咲きだしました。

接写レンズでの梅の花
DSC02112.JPG

魚眼レンズ での梅の花
DSC00205.JPG
posted by syouryu at 19:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 晴耕雨読

2012年02月25日

親鸞 について読み込んでいます

魚眼レンズでの、樹木 二態

メタセコイア
DSC00185.JPG

ユーカリ
DSC00167.JPG


正月休みにDVDで見た 梅原猛の浄土仏教講義 法然・親鸞・一遍

法然、一遍 については、さして突飛な話題は無かったのですが。

親鸞については、俗説や伝承の類にしか思っていなかった話題が、この碩学から聞かされるとは、驚きました。

「親鸞は、源頼朝の甥であった。」
「親鸞の最初の妻は、関白太政大臣の娘であった。」

信心の根底を揺さぶられる気がして、親鸞書を読み返しました。

新たに、数十冊を買い込んで読み込みましたが、やはり、そんなことはなさそうです。
親鸞という人は、宗教思想は饒舌に書き残しています。
しかし、個人的な来歴は、まったく書き残していませんし、また、周辺の当時の文書にもまったく記載がありません。
両親についても、まったく判らないのが現状です。 すべての生き物が 我が父母であると、言われていたようです。
親鸞の師である法然でも、両親のことを周囲に語り、それが書き残されていますのに。

妻にも、弟子にも、自分の父母について口に出さなかったというのが、真相のようです。後世には、脚色されたもっともらしい話しが出来上がって、さらに、粉飾がされて来たようです。
NHKの大河ドラマ、平の清盛、が影響しているわけでもないだろうし・・・

DSC00126.JPG

まだ、半分ぐらいしか、読めていません。
チィベット に行くまでには、読めそうです。
posted by syouryu at 18:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 晴耕雨読

2011年07月16日

ビジュアル版人類進化大全

進化 には、関心があって、それなりに勉強もしたのですが、いまだに、よく分かりません。
遺伝子の突発的な漸次的変異が、生物の種を、他の種へと発展する、進化の原因であるという、進化論には、理解できません。
進化論では、進化は、連続的なものという考えですが、あらゆる種は、非連続で、化石でも、連続的ではありません。
進化は、遺伝子の変異によって起こるのではなく、遺伝子の束である染色体の一挙的な変動によって起こると思えます。

それは、自然に起こるとは考えられません。

「ビジュアル版人類進化大全」 を読んでみました。
51VnK1U5xbL._BO2,204,203,200_PIsitb-sticker-arrow-click,TopRight,35,-76_AA300_SH20_OU09_[1].jpeg

ビジュアル と 云うだけあって、各ページには、写真、イラスト が示され、難解な内容が、平易そうに書かれている。

人類学というものと、かけ離れた職業にあるものにとって、とても大部で、壮大な物語が展開する。

人類である、ホモ・サピエンス といわれる 我々が、どのような進化を経て、全地球的に広がってきたのかを、2千万年前の類人猿から、紐解いていく。
しかし、ホモ・サピエンス に至る過程は、樹状には描くことはできない。あくまで、階段状にしか、描けないのである。化石での類人猿は、連続していない。また、人類発祥の地、アフリカでは、化石が断絶している何百万年の期間がある。これでは、類人猿から、進化してきたと、仮定した上で、その仮説を証明する努力を行っているが、それは、報われていないといわざるを得ない。
人類の進化学説は、証明されていない。一読した後の、虚しさが悲しい。

しかし、この本から、学べたこともある。
20年前に、ホモ・サピエンス がアフリカで誕生し、10万年前に、世界に拡がって行った。
その、ヨーロッパでは、ホモ・ネアンデルタレンシス と、アジア では、ホモ・フロレンシス という人科 と並存していたという事に驚く。相互に、交配が行われた証拠は無いとすると、各々の別社会を構成していたということになる。
また、石を使い始めたのは、200万年前のホモ属、火を使い始めたのは、100万年前のホモ属であって、ホモ・サピエンス の誕生のはるか以前であることにも驚いた。

ここに描かれた地球の誕生から1年とした、タイムスケジュールによると、
地球の誕生  1月1日
生命の誕生   春
単細胞生物   夏
多細胞生物   秋
脊椎動物    冬
陸上生物   12月1日
類人猿    12月30日

31日の夜11時40分に、ホモ・サピエンス がうまれ、11時59分に農耕が開始された。
11時59分59秒に 産業革命が起った。

この我々の生きる グローバル化されたという科学文明社会は、わずか1秒にしか過ぎず、進化ではなく、人類の畸形的発展ではないのかと思わされた。

DSC00735.JPG


DSC00745.JPG
posted by syouryu at 11:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 晴耕雨読

2011年05月28日

黙想の知

DSC09629.JPG

DSC09580.JPG


原子力という科学技術の信頼が揺らいでいます。
現代の産業社会は、科学技術文明ともいわれるほど、科学技術に依存しています。
科学が、宗教の代わりをしている時代とも云われ、科学技術を、信仰する人もいます。

宗教が扱っていた、生老病死 を、医学の領域とも主張しだす医師もでてきました。
僕は、生老病死 の根本的解決は、宗教しか成し得ないと考えています。

医学は、肉体を客体として取り扱う 科学の知の一体系 に過ぎないと思うのです。

そこで、「科学と宗教の統合」 ケン・ウイルバー著 を今回、3回目の読破に挑みました。
しかし、僕の頭が悪いのか、内容が悪いのか、またまた、理解できませんでした。
著者は、科学と宗教を知の体系として、一元的にとらえています。
僕は、二元的な 知 の体系としか思えません。

生物学を大学で専攻した、著者は、科学を知の体系ととらえています。
それに対する、宗教は、黙想の知 、と看做しています。
黙想とは、瞑想、祈り、称名 などの宗教的行を指しているのかなあと。

確かに、医学の知識では、治らないだろうと考えられる患者が、この人は、治ると直感することがあります。逆に、医学的には、治癒すると考えられるのに、治らないだろうと思えるときがあります。
僕の胃癌が見つかったときには、治癒の可能性を超えて、ハイテンションな精神状態が持続しました。

そうした事が、黙想の知 といわれるのなら、それなりに納得できます。

科学の知 と 黙想の知。両方とも、人間にとって、不可欠なものであると確信しています。
posted by syouryu at 19:49| Comment(1) | TrackBack(0) | 晴耕雨読

2011年04月10日

「逝きし世の面影」

「逝きし世の面影」

51MQ9F98Q6L._SS500_[1].jpg



この本は、江戸後期に日本を訪れた外国人の旅行記を引用して、当時の日本の人々の暮らし、営み、自然や他の生物との関係について、語っています。

その文明が、明治維新による、西欧化工業化によって、日本人自身の手で、葬り去られていったことを記しています。

単なる復古主義や日本主義では無いことを証明するために、ものすごく大部な書物になっています。引用書籍も、英文も含めて二百冊に及ぶのではないだろうか。

日本に来るためには、中国をはじめ、多くの他国を経めぐってきたのであり、日本だけしか見たうえでの、見聞記録ではないことは当然です。
明治の知識人や権力者によって踏みにじられた、この逝きし輝きに満ちた日本文明 を、西欧文明を持ち込んだ当の異邦人たちは、次のように書き記しています。

「妖精の住む小さくてかわいらしい不思議の国」
「この小さな社会の、一見して人づき合いのよさと幸せな様子」
「素朴で絵のように美しい国」
「かつて人の手によって乱されたことにない天外の美」
「地上で天国あるいは極楽に最も近づいている国」
「各人が全く幸福で満足していることは、驚くべき事実」
「庶民の識字率も高く、庶民文化も栄え、人々は貧しいながらも明るく、人が良く、大人も子供も躾が良く、自然豊かで、自給自足でき、ある程度の人々は満足していた。」

とくに東北地方を旅した英国人女性の記録、「日本奥地紀行」 では、外国人女性が一人でも安心して旅行できる国だと、絶賛している。 そこには、貧しく困窮した、東北のイメージは、まったくない。

江戸時代の幕末期が、過酷な専制政治のもとで困窮の極みに達していたというのは、維新政府によってつくりあげられた虚構であると確信させてくれる。
これらの、異邦人の見かたを、痛切に批判したのは、当の明治時代の日本人であったという事実にも驚愕させられるのです。

ここに描かれているのは、日本の近代化とともに滅び去った、日本人が忘れてしまっていた高度な文明の姿でもある。

一週間前の水仙 の 姿
DSC08274.JPG

DSC08280.JPG
posted by syouryu at 21:20| Comment(4) | TrackBack(0) | 晴耕雨読

2011年01月10日

「物質のすべては光」

「物質のすべては光」
51gn8O2gmAL._SS500_[1].jpg
著者は、ノーベル賞を受賞した、ウィルチェック博士。
博士は、人生の出来事や、来るべき死について考えるとき、科学的論理こそが、存在の究極の有りようを解明するのだと断言する。
科学が、そうした事柄に答え切れていないのは、科学が発展途上だからと・・・

この本の主題は、宇宙の統一理論を目指すことにある。 量子力学上の、強い力、弱い力、そして、電磁力 と 重力。これらの力が、宇宙の単一の力に基づく表現の違いだと。

その中で、重力が、極端に弱い、この矛盾を解き明かすことにある。

その過程で、物質の質量とは、その5%が本質的なもので、あとの95%は、見かけだけだと主張する。

そのためには、真空 と考えられていた、無、は、古典的にいえば、エーテル で、充満した世界であるという。

博士は、それを、グリッド というが、多層であって、多色の宇宙超伝導体である。
人間の目に見えていないだけであって、質量もある存在の根源だという。

その層の擾乱が、光であり、物質のエネルギー、つまり質量を発生させるのだ。
素粒子の根元は、クウォークであり、原子の構成要素である、陽子と中性子も、複数のクウォークから成る。
また、素粒子 は、光と同様に、粒子であると同様に、波動 でもある。

グリッドのうちの一層は、クウォークと反クウォークの充満する層である可能性が高い。

物質というものは、このグリッドの擾乱で生じる幻影で、電磁の揺らぎである光のほうが実体がある、というのが趣旨であったような。

そうだとすると、今まで、見えていたものが幻影で、見えていなかった 無、こそ、真 なるものということになるのでしょう。
人間の存在は、幻影で、その背景にある、宇宙超伝導体 こそが、実体であるそうな。
博士にとって、こうした理論を導いた 精神 は、宇宙の中のどこに存在しているのでしょうか、やはり、幻影なのでしょうか?

一方で、翻訳者が、この宇宙超伝導体を、荘厳された浄土、と一見飛躍した見方を書き記していることも興味深い。
posted by syouryu at 20:22| Comment(2) | TrackBack(0) | 晴耕雨読

2010年12月06日

「死と悲しみの社会学」

公園は、冬景色に近づいてきています。

小池の周りの、メタセコイア は 色着いてきて、
Cyber-ghot 276.jpg

落葉が始まっています。

Cyber-ghot 183.jpg

「死と悲しみの社会学」 は、ゴーラー 著で、1960年代のイギリス社会を扱っています。

当時のイギリス人は、家族が亡くなった時に、どのように対処しているのか、という点での考察です。
高度に発達した、産業社会であり、科学が信奉されている時代での、人々の悲嘆を、分析し、社会的な考察まですすめています。

どの時代の、どの世界の、社会システムの中にも、家族を亡くしたものの悲嘆を、社会的に哀悼するという制度が存在し、遺族も社会もこうした伝統的習慣にしたがっていたとしています。
著者が幼少のときのイギリスでは、遺族は、一定の期間、喪にふしたものだという。 この喪の期間は、社会の人々は、遺族に対して、別格の配慮と尊崇の態度で接したものであった。遺族は、社会的には、喪にふす以外では、いかなる要求も強制もされない。
その間に、遺族は、悲嘆を公言することが許されていた。そして、悲しみを、十分に表現した後に、社会に復帰していった、と。

しかし、1960年代のイギリスでは、葬儀の後は、遺族は、社会に復帰するように要請される。したがって、社会システムの中で、悲嘆に対処することができず、個人で、悲嘆に対処しなければならなくなった。
その結果、悲嘆を癒すための、個人的な仕方が生まれてきている。

悲嘆が生まれないように、がむしゃらに社会活動にのめりこむ、という態度をとる人もいるし、スピリチャアリズムを信奉し、人間の不死を信じる人もいる。
一方で、悲嘆が解決されずに、無期限に悲嘆を抱え込む人々が、でてくる。
この無期限の悲嘆 は、絶望という形をとり、喪を認めない社会に、復帰することを拒否するのである。

こうした著者の卓見は、現代の日本にも、相似している。
日本にも伝統的に認められてきた、喪の習慣が、かっては存在した。
49日の喪、その間、一週間ごとに執り行われる、近親者や知人が集まっての周忌法要。また、100ヶ日法要が行われるまで、遺族は、地域からも社会からも、丁重な扱いを受けたものである。その後、一周忌、三回忌 と一年後、二年後に、大きな法要が執り行われたものだった。
こうした、行事は、死者のためというより、遺された遺族の 悲嘆を癒すためでもあったわけです。
現代日本では、葬儀の後は、遺族といえども、直ちに、社会活動を以前と同じように再開することが強制されています。遺族が、どれほどの精神的かつ身体的な重圧のなかで、社会的に公認されえない悲嘆を、個人的にた解決していることか。
解決できない人々も多く、精神的苦痛をかかえるか、自殺にいたる人も出てきています。

どの遺族も、伝統的な、遺族の悲嘆を癒すという社会システムが崩壊してしまった、現代社会に、個人の努力で、向かい合わなければなりません。
posted by syouryu at 17:57| Comment(5) | TrackBack(0) | 晴耕雨読

2010年11月09日

「入門腫瘍内科学」

癌と肉腫を総合して、この本では、悪性腫瘍 として取り扱っています。
515TCUcfmrL._SL500_AA300_[1].jpeg

悪性腫瘍 といえば、従来は、食道、胃、大腸、肝臓 などと、臓器別に記述されてきました。
21世紀になって、癌の薬物療法が、従来の化学療法の範囲を超えて進展してきました。そこで、臓器別の治療ではなく、腫瘍学として、横断的な治療法が確立される必要が出てきました。そこで、腫瘍内科学という臨床医学が生まれてきました。

この本は、日本臨床腫瘍学会が、腫瘍内科学の入門編として、作成したものです。医学生が対象ですが、関心のある、一般の方でも、読めるところも多いと思います。また、一般の方が、癌について基礎的なことから学ぶにも、よいように思います。患者が、治療方針を自己決定するにせよ、セカンド・オピニオン を求めるにしても、目先の目標のみに拘泥しても、最良な選択ができるようにも思えません。現代医学の到達している、腫瘍学の進歩の領域と限界について、知って初めて、自己決定が可能なように思えます。

執筆者には,全国の腫瘍内科学講座あるいは大学病院で,がんの診療・教育・研究に携わっている先生方にお願いしました、というだけあって、腫瘍学全般についてもれなく記載されています。その反面、記述の水準が一定でなく、医学部学生に理解できなさそうな記述もあって、もっと平易に書けないのかと思う章も散見されます。

医者になるならば、最低限、身につけておかなければならない内容、という触れ込みです。
医療の専門家でない人も、知っておいてよい内容だと思います。
医学書にしては、破格の値段設定ですし、癌や肉腫に興味のある人にもお奨めです。

今日の猫の様子は、
ぶら下がった、ネズミのおもちゃ、で、仲良く遊んでいます。
DSC06135のコピー.jpg
posted by syouryu at 20:56| Comment(3) | TrackBack(0) | 晴耕雨読

2010年10月26日

伴侶の癌死ー魂の交流

「愛は死を超えて」フィリップ ラグノー 著
41w2iPDFGcL._BO2,204,203,200_PIsitb-sticker-arrow-click,TopRight,35,-76_AA300_SH20_OU09_[1].jpeg


伴侶の癌死 で、紹介してきた書物は、暗いものばっかりでしたが、今回は、幸せ感に満ちた書物です。

どうしても、死に至るような 癌に直面すると、最初の反応は、癌への抵抗であり、戦闘の姿勢です。
その後に、事実を受け入れ、諦観と受容という過程を経て、霊性や魂の成長と再生にいたって、癌を癒すことができます。

死後の世界を描くことによって、悲嘆から克服した記録とも読めます。

著者は、対独レヂスタンス運動時からのドゴールの側近にして、スフランス・マスコミ界の有力者である。いわゆる、フランスでの上流階級に属する人というわけです。その経歴,で、こうした書物にともなう胡散臭さを軽減させています。

この著書は、癌で亡くなった妻と 遺された夫が、幽界を隔てても、言語的な会話を行っているという記録です。したがって、この書物は、夫婦の共著なのです。

そこまでいかなくとも、亡くなった伴侶と会話をしている人は、多いのではないでしょうか。
今まで紹介してきた、日本人で、伴侶を亡くした男性の著書では、亡くなった伴侶と会話していることを記載しています。日本人だと、仏壇に話しかけると云う場合が多いですが、仏壇の無いフランスでは、時と場所を選ばずというわけでしょうか。

亡くなった伴侶が現れるときは、著者である夫には見えないのですが、飼い猫である黒猫には、見えていると主張しています。この著者も、無類の猫好きだと分かって、笑ってしまいましたわーい(嬉しい顔)

さーて、この先には、何が見えているのでしょうか。

DSC05049.jpg
posted by syouryu at 16:51| Comment(6) | TrackBack(0) | 晴耕雨読

2010年10月18日

伴侶の癌死 アドバイスブック

秋は、コスモス ですね・・・
DSC05588.JPG DSC05577.JPG
伴侶や、子供や、家族が亡くなるという悲しみは、同じ経験者の著書を読んでも、癒されるものでもないと書いてきました。
人はさまざまで、癒しの方法もさまざまでしょう。
やはり、それなりの専門家に委ねるほうが賢明と思います。
しかし、死別というのは、理屈でも学問でもないわけで、その悲しみは、経験したものでないと理解できない事とも思います。
僕が、参考にできると考えている、書籍も紹介しておきます
死別の悲しみを癒すアドバイスブック―家族を亡くしたあなたに」
Catherine M. Sanders  著
51JS4AZPAVL._SS500_[1].jpeg
著者は、死別したもののグリーフケア を研究して、数十年というベテランです。
しかも、というか、宿命というか、18歳のときに父親が肺がんで亡くなります。その後、17歳の息子を事故で突然失います。息子の死を克服しようとしていた、そのとき、兄嫁が乳がんで死亡し、その4ヵ月後に、その夫である兄が、生きる意志をなくし静かに死んでいきます。著者は、このときから、グリーフケアを学ぶ決意をします。
しかし、その後、娘の夫が朝鮮半島で、母親が脳卒中で、よき友人であった、前夫も亡くなります。
そして、著者は、自問するのです。
「愛するものの死から私は何を学んだんでしょう?」 と・・・
posted by syouryu at 17:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 晴耕雨読

2010年10月16日

伴侶の癌死 つづき

? 438.jpg ? 439.jpg
伴侶が、亡くなって、男が遺された場合の書籍は、悲嘆の中にありつつ、再生を目指している、男の著作 である・・・ 
と、断定できないのが悲しい。


うつや、アルコール依存になったり、健康を害したとしても、そこから、這い上がってくるさまが、人間が偉大であることを知らしめてくれるものである。
しかし、僕が読んだ中で、唯一、うつ症状と、アルコール依存の中で伴侶のあとを追った 著書が 存在する。


小説家 城山三郎 著 「そうか、もう君はいないのか」
そうか、もう君はいないのか


僕は、二年前に読んで、アマゾン にレビューしています。


すこし、負のエネルギー が感じられますが、レビューの文章を代えるのも、不誠実な気がしますので、そのまま、再掲します。


 

53 人中、31人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 1.0 ご冥福を、ただただ、お祈りいたします, 2008/12/29

「あっという間の別れ」 と、述壊しているように、城山氏は、ご令室との死別を、認められず、引きこもって、職業人としての再生を果たす事が出来なかったように思える。 したがって、本書では、死別の喪失感が、色濃く滲み出ており、心身ともに疲弊し、自己の死でもって答えたという著者の生き様が感動を呼ぶのかも知れない。
 配偶者の死は、自分の半分が死んでしまったゆえに、当人の人間としての再生、新たな生まれ変わりが達成される機会でもある。その機会を達成できなかった著者に深い哀悼の念を禁じえない。この☆一つは、城山氏を当然に援助すべき人々が、果たすべき仕事を果たさなかった故の著書であるからである。

 まず、ご令室の病状について、本人はもとより城山氏にすら、正確な告知を怠った医者には、理解に苦しむ。ご子息らに告知して、当人らに告知しなかったという事は、インフォームド・コンセントの時代に、医師の職業的怠慢では無いだろうか? 城山氏に告知がなされていれば、「あっという間の別れ」 ではなく、相応の準備が出来ていたのではないか。また、しかるべき治療を選択されていたのではないだろうか。
 つぎに、理解に苦しむのは、新潮社の編集者の振る舞いである。 城山氏が、心身ともに疲弊して、まともな状態ではないと解っていた筈である。そうした状態にもかかわらず、療養を勧めずに、ご令室のことを書くように勧めるのは、一種の殺人行為ではないでしょうか。困窮しているものに、鞭打つ振る舞いである。この本の出版で、利益を求めていたとすれば、出版社とその編集者は、人の命よりも、利潤を選んだのだろう。

 著者が、ご令室と死別しての悲嘆の7年間に、専門的なグリーフケアを、受ける機会が無かった事が、悔やまれます。
 今は、彼岸にあって、お二人で過ごされていることが救いです。お二人のご冥福を、ただただ、お祈りいたします。 合掌

posted by syouryu at 17:50| Comment(2) | TrackBack(0) | 晴耕雨読

2010年10月15日

伴侶の癌死

妻を、とくに癌で、亡くし、遺された方の、男の、悲嘆がよく話題にされるようになっています。
最近でも、小説家 川本三郎 「いまも、君を想う」 や、癌専門医 垣添忠生「妻を看取る日」
が、発刊されているので、読んでみました

いまも、君を想う妻を看取る日 国立がんセンター名誉総長の喪失と再生の記録

こうした経験者の本は、どうも、自分の参考にはなりません。

むしろ、経験していない人達が読んで、こういうものなのか、という覚悟をうながすためには、いいかなあと思いました。

このお二人の 本は 自分が、この艱難をどう克服してきたか、どう克服すればいいのか、ということを明らかにするために、書かれているのではないと思われます。

むしろ、いまも、悲嘆の只中にある現状を打開する方策として、本 としてまとめられたのではないでしょうか。

このお二人は、まだ、艱難の克服途上にあると、困難で苦しい状況にもがいておられるのが分かります。

伴侶が亡くなると、遺されたものも、半分死んだようになります。

この、失った半分を再生させること、元の自己に戻ること・・・それは、不可能なのです。

また、元に戻ることを目標にしていれば、悲嘆は、残ったままです。

あらたな、再生と成長、誤解を招くことを覚悟で云えば、魂や霊性の再生と成長、あたらしいアイデンティテイ を確立するという事でしょうか。

経験者の 本で そこまで踏み込んだ、書籍は、なかなかありません。

それは、極めて個人的な事柄に属するので、本にしてしまうと、宗教書や哲学書になってしまうからでしょうか。

LB057.jpg

 家内といった、桂林

posted by syouryu at 15:03| Comment(4) | TrackBack(0) | 晴耕雨読

2010年08月25日

介護者のあり方・グレース & グリット 

DSC04176.JPG DSC04177.JPG

グレース & グリット のなかで、妻を介護してゆく過程で、ケン・ウィルバー は、死にゆく癌患者 を 介護する者の、あり方について、考えます。

その到達した、態度とは・・・4点にまとめてみました。

1. 自分の選択を再確認する

介護者は、その介護から、逃げることもできるが、逃げずに介護をするという自分の選択を、日々、確認しながら生きることである。
日々の困難に挑戦し、肉体的健康を得ることや、社会的に成功を収めること、から、高度な意識レベルにおいて健康であること、であることを目標に変える。
何をするか、から 如何にあるか。
あるがままの人生を受け入れること、愛する人が、癌で苦しみながら死んでいくこと、を受け入れる。

2. 無我の奉仕の自覚を持って生きる

自分という思いや、他者からの評価 などを考えず、他者に奉仕する。

ただ愛し、奉仕する。つまり、無我の奉仕、それは、行為をとおした瞑想であり、慈悲である。ただ、食事を作り、皿を洗い、洗濯をし、掃除をするなどの、行為なのだ。


3. 介護者の務めをはたす

感情を吸い取るスポンジになる。

相手の役に立つことをする事、が重要なのではなく、ただ、そばにいて、相手の苦悩や恐怖、痛み を吸い取ればよい。
介護者は、黙って、相手の望んでいることをする。

4. 個人的な精神的混乱に対処する

介護者は、自身の個人的問題を、一切、話すことを止めてしまう。自分の問題など、癌患者の苦悩に比べたら、取るに足らない、と思ってしまう。

友人、知人や家族では、介護者の重荷を軽くするのには、不十分である、とケンは断定している。
確かに、介護者が、薬物に手を染めたり、心中を含め自殺願望 をきたしたりすることは、珍しいことではないからだ。

介護者の気持ちの基本は、愛情ですが、愛が飢餓状態になれば、憎悪 として表出する。
介護者は、事態が悪化しないと、専門家のセラピストや支援グループの援助を求めないが、早期から、援助を受けるべきだ。


posted by syouryu at 17:16| Comment(2) | TrackBack(0) | 晴耕雨読

2010年08月24日

ケンの苦悩・グレース & グリット 

DSC04148.JPG DSC04147.JPG 

初めて会って、4ヵ月後に結婚し、その10日後に、妻 テリー に、ステージUの乳がん、が、分かります。

夫 である ケン・ウィルバー は、介護者に徹することを決意し、実行。
その後、癌治療の方法をめぐっても、双方に考えの違いも生じて、テリー が局所の再発をしていたころに、別れ話が起こるりますが、しばらく、距離を置いた後は、いっそうの絆が誕生。
リー は、3年たって、闘病中に、自分は生まれ代わったと自覚し、スペイン語で、星 に由来する トレア と、名前を変更。

ケン は、介護者に徹底していきますが、妻の癌進行をまえにして、苦悩が増していきます。
妻 トレア が治癒不能の転移が起こった後、妻がこの世からいなくなるという実感に耐え切れず、心が砕けたと表現しています。 それで、アルコールに溺れた事、自殺も考えた事が示唆されています。

そうした、経験をえて、ケン は、癌患者を介護する者の、あり方について、考えます。

癌患者本人 を苦しめることなく、介護者も砕けることの無い、介護者の態度とは・・・・・

posted by syouryu at 14:14| Comment(2) | TrackBack(0) | 晴耕雨読

2010年08月23日

5年間の闘病・グレース & グリット 

Cyber-ghot 063.jpg Cyber-ghot 053.jpg
グレース & グリット の、主題は、二つあります。

一つ目は、二人の 5年間にわたる闘病 の記録
二つ目は、二人が、生と死を超える叡智 を獲得した記録

1983年の夏に、初めて会って、幾度も生まれ変わりながら、お互いを探していたと直感し、即、結婚。
しかし、結婚直後に、乳がんが発見される。その後、二回の局所の再発を経験。
4年後には、脳と肺に転移をきたし、治癒不可能の状態となる。
それでも、常識を逸脱した強力な化学療法や、代替療法を行ったにもかかわらず、1989年初頭に、トレア は亡くなります。

上巻では、二人の考え方の基本、について、詳述しています。

キリスト教文化を基盤として成長し、瞑想家として、禅、タオやヒンズー などの東洋の宗教を参考にしながら、「死者の書」 を現した 金剛乗仏教 によって、生死を超克していく過程 が語られます。
癌患者と介護者 として、二人の闘い が語られています。

下巻では、現代医学では、治癒不可能 と看做されたところから、トレアが、亡くなるまで、を、詳述しています。

死にゆく覚悟を固めつつある癌患者 トレア と、戦いつかれて、諦観に陥りながらも、死の持つ意味を感得していく介護者 ケン が語られます。

僕は、死期を悟ったものは、もはや、ヒト、ではなく、菩薩 (bodhisattva) であると、思っておりますので、死を覚悟したトレアを論じることはしません。


この本の内容の半分近くは、トレア の日記、手紙 とか講演記録 で占められています。



一方、介護者の立場については、次に、記そうと思っております

posted by syouryu at 12:43| Comment(3) | TrackBack(0) | 晴耕雨読

2010年08月21日

妻の乳がん と介護者の記録・グレース & グリット 

51GC168491L._SS500_[1].jpeg  51D53748T6L._SL500_AA300_[1].jpeg
何年かぶりで、グレース & グリット を、読み返しています。
著者である、ケン・ウィルバー は、東洋の宗教と、西洋心理学とを、統合したと、学際的には評価されています。
その再婚相手が乳がんとなり、5年にわたる、妻の乳がんの記録と、介護者としての苦悩を記録したものです。
僕は、ケン・ウィルバー の主要な著作に、眼を通した感じでは、世間の評価とは違う考えを抱きました。
西洋心理学、とりわけ、フロイト派の発達心理学の考察の仕方を、 東洋の思想、とりわけ、仏教 に適応したというで、統合ではないと確信しています。
仏教の、最終的到達地平である、非二元的統合、つまり、ダンマ とか 法身 とか呼ばれる、解脱の意識構造を、フロイト流の人の意識の発展と同じように考察しているのだと思えます。
したがって、ケン・ウィルバー によれば、生と死の超克とかは、近代合理主義的な、高度のインテリジェンス を持った者が、一歩一歩、彼の言う階梯を昇る事によって、達成できるとしています。
生と死の超克は、そんなものでは、ないでしょう。 しかし、言葉では、比喩や方便以外に、表現不可能 とされていた、仏教の到達点を、理性的言葉で、表現しようとしている営みは、面白いものがあります。
この、グレース & グリット は、すでに、意識の到達点において、悟ったとみなされていた、ケン・ウィルバー を襲った、試練と艱難、を、本人が、実に率直に、その経験を表現した著作です。
治癒不可能な癌に罹患した人、そして、その人を、まじかで介護している人 にとって、参考となるでしょう。
どういうわけか、日本では、あまり、読まれていないようで、残念です。
その類の、スピリチュアル本 とみなされているからかも知れませんが、体験談として、読めば含蓄に富んでいます。
上・下 の大部ですが、順に、内容を紹介していきます。
posted by syouryu at 21:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 晴耕雨読

2010年07月29日

「人類の足跡10万年全史」


前の、ブログで書きました、人類の出アフリカについての、ネタ本 を明らかにしておきます。


人類の足跡10万年全史
61qMOof3U%2BL._BO2,204,203,200_PIsitb-sticker-arrow-click,TopRight,35,-76_AA300_SH20_OU09_[1].jpg


アマゾン での 僕のレビューです。

人類が15万年以上前、アフリカで出現してから、8万5千年前に、アラビア半島南部から、インドに向けて、海外沿いに、単一の集団によって、アフリカから出たことを、現在、地域に住んでいる人々の細胞内の卵子由来ミトコンドリアDNAと 核内Y 染色体の遺伝子分析によって、明らかになったことを解説している。遺伝子の分析だけでは、変異の起こる年代は確率的に推定することしかできないので、遺跡の分析や、氷河期の解析によって人類が踏破可能な移動経路を確定しながら、年代を確定していく。
人類は、インドから東南アジアへ、そしてさらに、オーストラリアへと渡った。また、人類は、アジアの海岸線を北上しながら、2万5千年前に、ベーリング海の陸橋を渡り、アメリカ大陸に到達し、アメリカ大陸では、海岸ルートと内陸部との二つの路をたどりながら、南アメリカまで達したことを明らかにしている。また、ヨーロッパへは、約5万年前に、最初にヨーロッパに進出し、遅れて、二度目はアジアから進出が行われた。
アジアについては、詳細な分析を行っており、縄文人も、何箇所かにわたって触れられている。「DNAでたどる日本人10万年の旅」(崎谷満)とあわせて読むと、出アフリカから、日本列島への移動が理解できる。
そのため、アフリカを出た、人類のDNAにおける多様性が少なく、生物進化という点では、人類は困難を孕んだ存在である事を、著者は、最後に吐露している。
また、この種の書籍にありがちなヨーロッパ人優越思想を、著者自身が振り解きながらの極めて詳細な分析には敬意を超えて尊敬していまう内容です。

posted by syouryu at 21:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 晴耕雨読
最近の記事
(01/07)本日でこのブログを 終結して、
(12/31)今年も、あと数時間
(12/28)今年の総括
(12/26)胃全適して、ちょうど5年が経ちました
(12/22)食事の工夫
(12/20)猫団子 を見たい
(12/18)最後の 健診
(12/15)考える葦
(12/12)甲状腺がんが多発
(12/10)ジャズ・フェステバル
(12/07)師走の御堂筋
(12/04)猫団子 出現
(12/02)プラスチックの サキソフォン
(11/30)ボリショイ・バレー 観てきました
(11/24)胃全摘5年を祝ってもらいました
(11/21)陽だまりを求めて
(11/18)美味しい 干物 いただきました
(11/14)もうすぐ、5年目の健診
(11/10)忘年会には まだ早い
(11/05)紅葉も盛りに
コメント、有難うございます
本日でこのブログを 終結して、
 ⇒ MASUDA (11/17)
 ⇒ さっちん (09/05)
 ⇒ syouryu (01/23)
 ⇒ 華子 (01/18)
 ⇒ syouryu (01/08)
 ⇒ syouryu (01/08)
 ⇒ ゆう (01/07)
 ⇒ チャミママ (01/07)
胃全適して、ちょうど5年が経ちました
 ⇒ こすもす (01/13)
 ⇒ syouryu (01/07)
 ⇒ syouryu (01/07)
 ⇒ syouryu (01/07)
 ⇒ ゆう (12/31)
 ⇒ ca_nonn (12/30)
 ⇒ 胡蝶 (12/26)
食事の工夫
 ⇒ syouryu (12/28)
 ⇒ 胡蝶 (12/24)
最後の 健診
 ⇒ syouryu (12/22)
 ⇒ みさちか (12/21)
師走の御堂筋
 ⇒ syouryu (12/15)
 ⇒ syoouryu (12/12)
 ⇒ syouryu (12/11)
 ⇒ 胡蝶 (12/09)
 ⇒ ゆう (12/09)
 ⇒ わたあめ (12/08)
猫団子 出現
 ⇒ syouryu (12/11)
 ⇒ ゆう (12/09)
プラスチックの サキソフォン
 ⇒ syouryu (12/05)
 ⇒ ねこ好き (12/02)
胃全摘5年を祝ってもらいました
 ⇒ syouryu (12/01)
 ⇒ syouryu (11/30)
 ⇒ syouryu (11/30)
 ⇒ syouryu (11/30)
 ⇒ syouryu (11/30)
 ⇒ たいちゃん (11/29)
 ⇒ ねこ好き (11/26)
 ⇒ 胡蝶 (11/26)
 ⇒ ゆう (11/25)
 ⇒ ゆう (11/25)
 ⇒ 小出 利香 (11/25)
医学は煩悩
 ⇒ takopon (11/24)
 ⇒ syouryu (04/19)
 ⇒ syouryu (04/19)
 ⇒ syouryu (04/19)
 ⇒ komの夫 (04/18)
 ⇒ ポトス (04/18)
 ⇒ チャミママ (04/18)
忘年会には まだ早い
 ⇒ syouryu (11/14)
 ⇒ syouryu (11/14)
 ⇒ たいたい父ちゃん (11/12)
 ⇒ carol (11/11)